焼岳(上高地からピストン)

2005・7・29(金)〜7・31(日)    GPS軌道

上高地バスセンター6:00発 〜 西糸屋山荘6:55発 〜 焼岳登山口7:45発 〜 焼岳小屋10:25発 〜 山頂 11:45 12:10 〜 旧中尾峠12:55 13:45(昼食) 〜 焼岳登山口16:00 〜 西糸屋山荘16:45


当家の「夏休みのメインイベント」は、上高地と焼岳に行ってきました。なぜ焼岳かと言うと、私が登りたい山は「薬師岳」か「焼岳」で、山ノ神様は「下りのきつくない山」「下山後温泉泊」であれば焼岳しかありません。
 3日前にさわやか信州号と宿を予約しましたが、バスの都合で出発を1日遅らせ金曜日夜発となりました。コースは、下りの楽な上高地からピストンです。



7月29日(金)の夜は、早めに仕事を切り上げ帰宅し、夕食と風呂を済ませ出発です。

湘南方面から新宿に出るのには、湘南新宿ラインが運行されているため、とても便利です。 

初めての新宿都庁大型駐車場は、多方面にバスが運行されており、「さわやか信州号」の受付を見つけために、何度か往復しました。

指定されたバスは、アルピコ社のものではなく、他社の古いバスです。
 それに加え座席表に間違いがあり、暑い中待たされ乗車してからもクーラーが効かず、汗だくの大型駐車場でした。
 それでも、これから楽しいことが待っているためか誰からも苦情は出ませんでした。

車両は、1列2×2の4席の普通観光バスで、快適には眠れそうにありません。
都市間高速バスの車両を想像していましたの少し残念です。(調査不足)

中央高速道路は、時間調整のためか山梨で一般道路に下りました。

諏訪、松本と抜け、沢渡で低公害バスに乗り換え上高地バスターミナルに6時に着きました。

河童橋を渡り、今日宿泊する「西糸屋山荘」で、持参の朝食とトイレを済ませ、さて出発です。

梓川は、霧にけむり美しく流れており、早朝から多くの人が散歩しています。
 
山の上はわかりませんが、今日の天気は、午後から晴れるそうです。


上高地下水処理施設の前をとおり、焼岳登山口から樹林帯に入ります。

しっかりしたシラカバ林と笹の下草を見ると、丹沢の食害により枯れたササは、異常に思います。

 芥川龍之介の小説「河童」に出てくる、「河童の国への入口」があるような林の中を、
ゆるく登ります。

焼岳が崩壊している峠沢に出て、それに沿って登ると段々と傾斜がきつくなってきます

大小のアルミ梯子が2〜3箇所あり、標高がどんどん上がります。
 樹木が低木や草原に変わり展望が開け、大正池やガスに隠れた焼岳山頂が見えるようになりました。
高度感のある20mのアルミの梯子を登り、稲妻型の草原を登れば、クリーン屋根の焼岳小屋です。

ここから西穂山荘への道をわけ、焼岳展望台に登ります。

焼岳が昔、登山禁止だった時代は展望台から焼岳を見て引き返したそうです。
中尾温泉からの道と合流する旧中尾峠に下る途中にお花畑がありました。

この峠は、気持ちの良い場所でゆっくり休憩したくなります。
ここから草つきの急斜面を登り切ると、景色が一変し火山の特徴である荒涼とした溶岩石の世界となります。

噴煙が上がり硫黄の匂いが漂う場所をとおり、溶岩ドームのような山頂左側を巻き
急登すると、中の湯からの道と合流する狭い鞍部に着きます。
焼岳は、火山湖をはさみ北峰(2393m)と登山禁止の南峰(2465m)があり、これか

ら登る北峰は焼岳の最高峰ではありません。

 火山性のガスが勢い良く噴出し、硫黄で黄色く変色した場所を横切り、岩の間をくぐ

りぬけるようにして山頂に着きます。

 
ガスが早く流れ南峰や火山湖が時々見えます。

百名山にはこだわらないが、北アでは、薬師岳。南アでは光岳が残っています。

南・中央・北アの百名山はすべて登って見たいと思います。

旧中尾峠
混雑する山頂を避け、旧中尾峠で昼食に
することとし、写真を撮って出発しました。

これからの下りは、数年前、クラブの仲間のKさんが転倒し指を骨折した場所なので、慎重に下りました。

下山中からガスが切れ始め旧中尾峠で昼食が終わる頃にはすっかり晴れ、山頂が良く見えるようになりました。

焼岳展望台に登り返したら、穂岳連峰が綺麗に見えています。 ヤッター

西穂から奥穂への険しい稜線は気になるコースですが、俺の技術では無理。

穂高を見ると苦い思い出がよみがえります。

若い頃、槍沢〜槍〜南岳〜北穂〜奥穂の縦走を後輩Oさんと目指しました。

初日の雨の槍沢が影響したのか、北穂まで来てOさんが高い熱を出しました。

 2日間北穂の小屋に宿泊しましたが、熱が下がらず小屋の人や警察と相談の結果、

ヘリで松本まで降りることとなりました。

 飛行場から大学病院へは救急車で搬送され、肺炎と診断されました。

そのことが、翌日神奈川の地方版の新聞に掲載され、クラブの先輩や職場の方に

心配をさせてしまいました。

 後日、お世話になった北穂の小屋の方にお礼に行くため、Oさん、Tさんの3人で上

高地から涸沢に入り、なんと今度はTさんが熱を出し、やむなく下山となってしまいまし

た。

学生時代の山岳部顧問が、「穂高は山岳部の鬼門」だといって言っていたことを思い

ださせた出来事でありました。



恥かきついでに、若い時代の苦い思い出をもう一つ。

 9月の上旬に、南アの小渋川から赤石岳〜荒川三山に先輩Oさんを誘い二人で目指しました。

小渋川コースは、広河原小屋までは、河原を歩き何度も渡渉するコースで、数度の渡渉で水の冷たさがいやになりました。

事前に調べてあった巻き道コースを選びましたが、その道はすでに廃道にちかく、途中にあるはずの橋がありません。

そこに至るまでに無理して岩場を下降した場所があり、進退窮まってしまいました。

小渋川に戻るためには岩場を下降するしかなく、そのルートの偵察中に私が滑落してしまいました。幸い下は水溜りで怪我なく済

みましたが、 上に残ったOさんは、上に残った私のザックと自分のザックを細引きで下ろし、慎重に岩場を下りはじめ、もう少しあ

と1.5mまで降りましたが、足を乗せた大きな岩が浮いており、岩と一緒に落ちました。

落ちた岩ですねを切り、口がぱっくり開き白い骨が見えていますが幸い骨折はしていないようです。 盛夏も過ぎこのコースを歩く

登山者はいません。包帯で傷をぐるぐる巻きにして下山が始まりました。
 
 私はキスリングを2個担ぎ川を渡り対岸におろし、また戻り怪我人を渡す。同じことを何度も繰り返し必死の思い出で出発地点に

戻ることができました。
 
幸い道路工事中の人に村の病院まで車に乗せてもらい、傷を7針縫合する手術を受けました。

 苦い思い出は、体調不良やコースの事前調査不足が原因で起きた事故でありますが、根底には、体力にはある程度自信があっ

た時代で、背伸びして実力以上のコースを選んでしまったかもしれません。

 
焼岳小屋からは草地の急降下が続き、高度感のある長いアルミ梯子を降りましたが、

山の神様のヒザ痛が出ず、順調に下り無事焼岳登山口の林道に戻ることができまし

た。

梓川に沿ってゆっくり景色を楽しみながら写真を写し宿泊先の西糸屋山荘に16時45

分に到着しました。
翌日は、早起きし 小梨平キャンプ場の梓川べりから明神・前穂・奥穂の山々の眺め

を十分楽しました。

あとがき
焼岳を上高地から見ると、富士山のように樹木のない、溶岩の荒涼とした山をイメージさせますが、

登って見ると、お花畑あり、深い樹林帯ありで変化に富んだ良い山でした。 Y−K
いつも、丹沢付近をうろうろしていて、
久しぶりのアルプスでしたが、
やっぱり、スケールが違う・・・
お天気にも恵まれ、上高地からの穂高連峰の眺めは、
最高でした。
何より、膝が痛くならなくって、よかったあ!    yamanokami


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