丹沢の行者道を歩く

広沢寺温泉〜見晴らしB〜大沢分岐〜日向山




弁天御髪尾根との合流点付近(下方は広沢寺温泉)

【日 時】 2006年10月9日(月・祝日)  2人   晴れ      
【コース】 自宅 7:30 〜 広沢寺温泉駐車場 8:40〜  尾根取付き 8:50 〜 P515尾根合流 10:30 〜 見晴らしB 11:00  〜 P674 11:10  〜 すりばち広場 11:20  〜 東屋 11:40 12:35 〜 大沢分岐 12:53 〜 P537 13:30  〜 日向山 14:10 14:15 〜 林道 14:30  〜 広沢寺温泉駐車場14:50  〜  自宅 16:00 
【資 料】  2万5千分の1地形図 「大山」 
【始めに】 3連休の初日は、前日の強風で物置の屋根が壊れ、補修で終わりました。
中日は出勤。
最終日は天気の良さに、堪らず山ノ神と山に行きました。場所は大山の東面の尾根で山頂には行きませんが、
一日、静かな山歩きと地図読みを楽しむことができました。

尾根取付きから弁天御髪尾根合流までは一切道標はありません。読図により現在位置を想定し、適切なルート選択が必要です。


GPS軌道

カシミール3DとハンディGPSを使用して作成した「GPS軌跡」のページです。軌道が切れたり飛んだりしていますが、
修正してありません。そのような場所は、
衛星の電波を受信できない杉林のような場所です、また、軌道は、
1分隔で記録しております。また、正確な縮尺はわかりませんがおおよそ25000分の1程度です。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第87号)



山ノ神は、早朝から洗濯、弁当作りと働いています。
1人の時は、途中のコンビニで昼食を仕入れればすみますが、女性は大変だ。

そんな訳で、山ノ神がいっしょの時は、遅い出発、早い帰宅が出来るような場所を選ぶことが多くなります。家から最も近い山は、伊勢原の大山です。

M−KさんのHP「俺の山紀行」を参考にさせていただき、広沢寺温泉から見晴らしBに登る尾根を歩いて見ることとしました。 下山ルートは、未定です。
         大釜弁財天道


早朝から動いた甲斐があり、7時半に出発することが出来ました。

7・8日今日と秋晴れが続き、神川橋から富士山や大山がすばらしくよく見え、富士山の頭が少し白くなっています。
もう高い山は雪のシーズンになり、つくづく早い季節の移り替わりを感じます。

広沢寺温泉の2段ある駐車場は、まだまだ余裕があり、上の段に車を止めました。
     民家の裏手から山に入る


「七沢弁天の森キャンプ場」への分岐をすぎ、川を渡った先に「大釜弁財天道」と書かれた石柱が左側にあります。
その場所から民家の裏側をとおり、墓地の横からイノシシよけのトタンを乗越えて、植林地内の尾根に取り付きます。
いろいろな踏み後がありますが、引き込まれずともかく尾根の上に向けて登って行きます。

標高300mの二つ目の支尾根が合流する地点で、鹿柵の外に出ると、はっきりした尾根道になります。

対岸のP375mが同じ位の標高に感じます。
   二つ目の支尾根が合流する地点


ここからは、植林地から開放され自然林です。

里山に近いわりには、静かで気持ちの良い尾根歩きが出来る場所です。

植林との境界を歩いて行くと、鹿柵の中に閉じとめられます。

三角の梯子で越えると、「平成15年一の沢保安林整備事業施工地」と書かれた木柱があり、苗木が植林されたばかりの草地に出ます。

ここからは「ランドマーク」や「新宿高層ビル群」が良く見えました。
       気持ちの良い尾根

平成15年一の沢保安林整備事業施工地 同   左
ここからは、稜線上に上がらず、鹿柵を梯子で数ヶ所越えて、草地をトラバースして弁天御髪尾根(P515からの尾根)に出ました。

合流する手前には、急斜面のトラバースがありました。
トラバースして左上の弁天御髪尾根へ
広沢寺温泉方面 尾根の合流地点・P570m



標高570mのピークから、しばらく急登で、見晴らしの悪い「見晴広場B(P674の肩)」です。

見晴広場Bの手前で、弁天の森キャンプ場からのハイキングコースが合流します。

見晴広場Bから道標はありませんが、山神峠から鐘ヶ岳への道が北側に分岐します。


         見晴広場B



「丹沢の行者道を歩く」(城川隆生著)を読みました。

「大山寺」・「愛川町の八菅山」・「日向薬師周辺」は、山林修験者の重要な拠点があり、それぞれに修験道があって、修験(峰入り)が明治の初め頃まで続けられていたそうです。


「八菅修験の行者道」

八菅山 〜 幣山(石神社) 〜 尾形山(採石場となり今は無い) 〜 愛川町田代(平山地区) 〜 塩川の滝 〜 

ぼうず山(P536) 〜 経ヶ岳 〜 華厳山 〜 高取山 〜 煤ヶ谷(舟沢) 〜 飯山白山 〜 煤ヶ谷 〜 不動沢の谷 〜 

煤ヶ谷に戻り 〜 物見峠(岳の森経由) 〜 辺室山(チゴン塚) 〜 物見峠 〜 大山三峰山 〜 唐沢峠  

〜 不動尻 〜 七沢に下り(大沢地区) 〜 大釜弁財天 〜 見晴広場B 〜 すりばち広場 〜 大沢分岐 〜 P778 〜   

唐沢峠からの尾根 〜 雷ノ峰尾根 〜 大山山頂 〜 下社(大山寺)    (約7日間) 年に1回の峰入り


「日向修験の行者道」

日向薬師 〜 山神峠(日向山とP375の鞍部) 〜 弁天の森キャンプ場 〜  ひょうたん広場 〜  見晴広場B 〜 すりばち広場

 〜 大沢分岐 〜 P778 〜  唐沢峠からの尾根 〜 雷ノ峰尾根 〜 大山山頂 〜 諸戸(金毘羅尾根) 〜 ヨモギ平 〜 

三ノ塔 〜 行者ヶ岳(新客ノゾキの岩) 〜 新大日 〜 木ノ又大日 〜 塔ヶ岳 〜 竜ヶ馬場 〜 丹沢山 〜 早戸大滝(ピストン)

〜 不動ノ峰 〜 蛭ヶ岳 〜 姫次 〜 八丁坂ノ頭 〜 青根諏訪神社 〜 青根村 〜 青野原村 〜 鳥屋村 〜 煤ヶ谷村 〜 

七沢村 〜 日向村    (3月25日〜 山中 5泊6日 青根まで)   数年に一度の峰入り



「大山修験の行者道」

大山寺 〜 大山山頂 〜 金色仙窟・位置不明(大山北尾根から唐沢川上流部で三峰が見える場所)

〜  西沢ノ頭 〜  札掛 

@札掛 〜 上ノ丸 〜 長尾尾根 〜 新大日 〜 木ノ又大日 〜 塔ヶ岳 

Aまたは   ヨモギ平 〜 三ノ塔 〜 行者ヶ岳(新客ノゾキの岩) 〜 新大日 〜 木ノ又大日 〜 塔ヶ岳

塔ヶ岳 〜 竜ヶ馬場 〜 丹沢山 〜 蛭ヶ岳

@蛭ヶ岳 〜 市原新道 〜 雷平 〜 早戸川 〜 宮ヶ瀬又は鳥屋 〜 仏果山(塩川の滝)

A又は   蛭ヶ岳 〜 姫次 〜 雷平 〜 早戸川 〜 宮ヶ瀬又は鳥屋 〜 仏果山(塩川の滝)

山道の場合 

塩川の滝 〜 経石 〜 経ヶ岳 〜  華厳山 〜 辺室山(チゴン塚) 〜 物見峠 〜 大山三峰山 〜 唐沢峠

〜 雷ノ峰尾根 〜 大山山頂 〜 下社(大山寺)

又は、塩川の滝から平地を歩き帰る。


丹沢の登山道は、何百年の間修験者たちが、踏み分けた尾根道でありました。

また、行者道の中には、梅ノ木尾根・大山北尾根・ヨモギ平〜三ノ塔・金毘羅尾根・丹沢山〜早戸大滝・市原新道・

姫次〜雷平等のヤブ尾根コースが多く入っており、うれしくなりました。

山岳宗教とは、大自然の中で厳しい修行しながら宗教的な力の獲得を目指すものです。

一般道をはずれて、ヤブ尾根を歩く人は、昔の修験道を歩いた行者同様に、あえてきびしい環境に身をさらして修行する

現在の修験者・山伏かもしれません。



見晴広場Bから、八菅修験の「尾高宿」である、すりばち広場に出ました。

名前のとおりの「スリバチ状の丸いくぼみ」で、今は獣たちのヌタ場となっています。

明治の初めまでは、行者の庵もあったという、八菅修験第27行所「空鉢嶽・尾高宿」です。

修験者のキャンプ場のような場所です。
         すりばち広場


しばらく歩くと東屋があり、そこで昼食にしました。

山ノ神手作りのおにぎりと卵焼き・ウインナーのケチャップ炒めは定番ですが、飽きのこない味です。
        すりばち広場東屋

下山ルートは、唐沢峠から不動尻と考えておりましたが、ここまでに時間がかかり、大沢分岐から日向山経由で、広沢寺温泉の車に戻ることにしました。

東屋から巨木の森に下り、戻ることもできるようです。

しばらく急登りが続き大沢分岐です。

大沢分岐の手前に、弁天の森キャンプ場方面に下るしっかりした道がありましたが、先が不明です。
            
         大沢分岐


分岐から日向薬師方面に入り、馬の背を過ぎて、浄発願寺奥の院への分岐です。

「丹沢の行者道を歩く」に浄発願寺奥の院のことも書かれていました。

     浄発願寺奥の院への分岐


「木食(もくじき)修行僧の寺 浄発願寺奥の院」

木食とは、穀物を断ち、もっぱら木の実・草の根を食べるという山林修行のスタイルで、安土桃山時代以来「木食上人」と呼ばれる、遊行(諸国を巡り歩く)の僧が各地に現われ験力を持った宗教者として里人の崇敬を集めた。

彼らもまた修験の伝統を受け継ぐ行者である。 木食僧は霊場や行場を個人で巡礼修行し、そして、供養塔や供養仏を造立し、勧進活動を行うこともあった。

その中にはユニークな仏像を全国に残したことで知られる円空(1532〜1695)や木食行道(1718〜1810)らがいる。


浄発願寺開山は、弾誓(たんせい)(1552頃〜1613)という念仏行者で、奥の院の岩屋は弾誓が修行の岩屋として発見したもので、やがてここに「一宇」が建てられ、それが浄発願寺へと発展したと伝えれらる。

浄発願寺が寺院としての伽藍を整えたのは、第4世空誉の時で、罪人の駆け込み寺となったのもこの頃という。

徳川家・藤堂家・有馬家など有力な檀家に支えられた浄発願寺は、世俗の世界から隔離されたアジールでもあった。

浄発願寺は、明治を迎えて修行僧も減り、さらに、昭和13年の山津波で本堂は倒壊、多くの遺物が失われ、現在は日向川の下流に移転している。

弾誓(たんせい)ゆかりの岩屋は訪れる人が少なく、ひっそりとした時を刻んでいる。  「丹沢の行者道を歩く」(城川隆生著)から



浄発願寺奥の院



日向山から大山山頂へ延びるこの尾根の呼び方は、「鍵掛尾根」とか「梅ノ木尾根」言われております。

その基となっている2本の道標がありました。

梅ノ木尾根・鍵掛は、どこでしょうか?
          鍵   掛                                                           梅ノ木尾根

今日は山に入ってから、2人の人にしか会っていません。日向山の山頂には家族ずれが2組です。

近場でも、地図に記載されていないコースは、静かな山歩きができます。
            日向山



山頂から大沢方面に下り、山神のある峠から、大釜弁財天の前に下り、広沢寺温泉の駐車場に戻りました。

台風一過の秋晴れで空が澄み、遠くまで見える1日でした。

標高の低い里山ですが、広沢寺温泉から弁天御髪尾根に出る尾根は、一部区間には、モミの大木や自然林が多いコースで、踏み後も適当にあるので、里山で地図読みを楽しめる場所です。

また、コースも時間に会わせて、色々選べます。

      のどかな里山風景


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