菰釣山

スカイバレーキャンプ場〜前ノ岳〜菰釣山



山頂から東丸・三国山方面を望む

【日 時】 2008年6月14日(土)  Hさん・Sさん  曇り・晴れ   
【コース】

センタービレッジキャンプ場8:45〜前ノ岳9:50〜ブナノ丸10:30〜菰釣山11:00 12:20〜センタービレッジキャンプ場14:20  

【資 料】

25000分の1 「御正体山」

【始めに】 道志村から菰釣山へ登るルートは数本ありますが、最短のコースは三ヶ瀬川西沢コースです。

このコースへは、道志の森キャンプ場を通り抜け水晶橋を過ぎ、さらに奥に延びる林道を進むと、水場のある西沢登山口に着きます。(平成19年3月時点)登山口からブナ沢乗越の稜線までは40分、さらに山頂へは30分です。

次に近いコースは、今回登った白井平地区からスカイバレーキャンプ場を通り抜け、前ノ岳からブナノ丸に出るコースです。こちらは約2時間です。

このコースは、私が持っている昭文社「山と高原地図・丹沢」(2003発行)には書かれていますが、Sさんが持ってきた最新版には出ていませんでした。

消えた理由は、道が荒れたからではなく、下記の理由があったことがわかりました。

今回スカイバレーキャンプ場まで入り、管理人さんに駐車させてほしいと頼むと、「良い人であろうが悪い人でろうが、登山者の駐車は一切お断り」と厳しい言葉が返って来ました。

登山者が、キャンプ場内に無断駐車するためトラブルが多発しているとのことでありました。

また、コースは、管理人さんがキャンプ場を利用する人のために開いたもので、それが地図に掲載され迷惑しており、地図会社と交渉し削除してもらったとのことでありました。
管理人さんは、本当に困ったという表情をしておりました。

キャンプ場と通過する際、管理人がいる場合は「通らしてください」と一声かけた方がいいかもしれません。

駐車は、すぐ下に老夫妻が経営する「センタービレッジキャンプ場」があるので、頼めば駐車させて頂けます。

登山道は、管理人さんにより整備され、道標もあり迷うような場所はありません。


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今年に入ってから、だらだら忙しかった仕事も一段落し、最近は気持ちに少し余裕も出来た。

前2回は、近場の大山周辺でお茶を濁したが、今回は世附山に行くこととなった。同行してくれたのは、Hさん・Sさんで、翌週にクラブの月例で「白砂山」に行くので足慣らしを兼ねている。


GPS軌道

カシミール3DとハンディGPSを使用して作成した「GPS軌跡」のページです。
軌道が切れたり飛んだりしていますが、修正してありません。
そのような場所は、衛星の電波を受信できない杉林のような場所です。
また、軌道は、1分隔で記録しております。
また、画面の大きさに合わせて縮小していますので、縮尺は正確ではありません。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第87号)

(黄色・・・・・下る予定であったルート)



6時にSさん・7時にHさんの家を回り、三国峠から平野に下りトンネルを越えて道志村に入った。

  

コンビニもある白井平地区からスカイバレーキャンプ場に入り、前記の出来事があって戻ると、すぐ下に老夫婦が経営する「センタービレッジキャンプ場」があり、訳を話すと「にこにこ」とわらって駐車させて頂けた。(一日500円)

    (センタービレッジキャンプ場)


スカイバレーキャンプ場まで戻り、管理棟の前を過ぎて、モチハギ沢右岸に沿った道を進む。
キャンプ場はボーイスカウトの利用が多いらしく、団名が書かれたプレート板が各所に建っている。

前ノ岳に取付く場所には、道標もありしっかりした道が続いく。途中にあるカラ松林が綺麗だ。

  


前ノ岳までは、急登が続くが、過ぎればブナ林と植林地が混ざった緩やかな尾根が続く。


  (前ノ岳は、ピークではなく尾根の一部で、木にプレートが付けられている。)

地図には、稜線への途中に富士見峠と書かれた「道志の森キャンプ場」に下る道が分岐するが、はっきりした尾根の分岐になっていないので、知らない間に通過していた。

その後はあっけなく県境尾根上にあるブナノ丸に着いた。

  (ブナノ丸)

以前、分岐にはデジタル表示(釘の頭で字が書かれた)の道標があったが、管理人さんが撤去したのだろうか?
山頂へも呆気なく着いてしまった。  11時着。

天気がよければ、山頂から大きな富士や南アルプスも見えるが、残ながら今日は雲の中に隠れている。

  (菰釣山頂)



(菰釣山 あれこれ)

山と渓谷33号(昭和9年10月発行)に掲載されている「水ノ木澤から菰釣シ山」(加藤秀夫著)という紀行文を読むと、戦前の菰釣には登山道がなく秘境であったようだ。

加藤さんが登ったコースは、駿河小山駅から峰坂峠を越え水ノ木沢を詰め、途中(大タルミ沢分岐附近)から山頂三角点に達する胸突き八丁の尾根を登っている。

下りはモチハギ沢を降りて道志村に出て、ヤラ尾峠を越えて谷村町まで歩いています。

夜の12時に駿河小山駅を出発する、日帰の超ロングコースです。

それが今では、1時間弱で登れるようになり、加藤さんが聞いたら驚くことと思います。

今でも道志村はバスの便が悪く、菰釣山にはまだまだ、静けさが残っています。

私は、ブナ林がある山頂の雰囲気が気に入っていますが、それは菰釣が世附山の主峰であるためかもしれません。

山名は、武田久吉氏によると、山中湖平野では「大丸尾」、道志では、「ブナノ丸」、相州側は「菰釣し」と呼んでいたようです。
また、水田健之輔さんは、山頂に「菰」を吊るし国境の目印にしたのが山名となったと書いています。

県界尾根から北に、道志八里と言われる川に沿った長い、道志集落を見ることができます。

昔から村人は、稜線を越え地蔵平や大栂周辺まで山仕事に入り、生活の糧を得ていたことが容易に想像できます。

江戸の末期に起きた、相模と甲斐の国境争いでは、甲斐側が負け今の県境が決まりましたが、それ以前は、山深い土地ゆえ境界などなかったかもしれません。

山中湖村史には、著者の想像部分もあると思いますが、幕府の中で要職を務めていた小田原藩の圧力によって、裁判開始より甲斐(平野村・道志村)側に不利に審議が進み、初めから甲斐側が負けるようになっていたとも書かれています。

裁判の中の道志村は、原告平野村に同調し境界を主張し、山神峠(山神社)までが道志村分であると言っています。

その記録の中には、事前の打合せが十分でなかったための矛盾点が表れています。

それは、村が示す境界線は、山神峠・二本杉峠(鞍骨峠)・箒沢二又杉(箒杉)・犬越峠を結んだ線であると云っていましが、中川村からお白須で、以前に道志村とは大群山付近の境界立会いを行っており、その折には尾根上が境であると決まったと指摘され、回答に窮する部分があります。

道志は横に八里もある村なので、その部落により世附山の利用の仕方は異なっていたかもしれない。

道志は、両岸を山に囲まれ平野村のように土地が少ない村と違い、山仕事の場所が多いため、必死になって世附の利権を守ろうとする意識は低かったかもしれません。

(菰釣山あれこれ 終わり)


菰釣山頂に着くと単独の方がいましたが、入替りに畦ヶ丸方面に出発された。
二つあるベンチを一つ占有し昼飯となった。

 (菰釣から東丸方面)


H・Sさん2人のザックの中からは冷えたビールが沢山出てきて、居酒屋「菰釣」となりました。

下りは、モチハギ沢左岸尾根を下る予定でしたが、ビールの泡と共にその気力は消え失せました。

何度も地図を読んでイメージした尾根ですが、それぞれ「山の楽しみ方は千差万別」で、今回はやめて次回に取っておくことにしました。

昼食後は、ビールのここち良さに負けて昼寝タイムとなり、元の道を戻りました。

駐車したキャンプ場に着くと、管理人のおばさんがお茶を出してくれました。

テレビでは、今日の朝発生した岩手・宮城地震のニュースをやっており、栗駒山の駒ノ湯が土石流で潰れているところが映し出されています。

それを見ているひとの良さそうな管理人のおばさんは、「えらいことが起きた」と云っており、やけにその言葉が耳につきました。

栗駒山の地震は、同じような環境の道志村では、他人事とは思えなかったかもしれません。



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