【日 時】 | 2007年11月4日(日) 単独 ・ 晴れ |
【コース】 | 自宅 5:30 〜 世附ゲート7:00 〜 山百合橋 8:20 〜 峰坂峠道合流 9:30 〜 峰坂道崩壊地戻り 9:45 〜 峰坂峠道合流 10:00 〜 峰坂峠 10:55 11:10 〜 悪沢峠 11:30 〜 ログハウス 12:25 〜 世附ゲートの河原 13:10 14:00 〜 自宅 16:00 |
【資 料】 | ○ 2万5千分の1地形図 「駿河小山」「御正体山」 ●HP「ようこそ山へ」「太郎小屋山〜不老山〜世附峠〜悪沢峠〜峰坂峠〜土沢〜浅瀬」 ●HP「峠のむこうへ」「崩れゆく峠道」世附峠・悪沢峠(柳島峠)・峰坂峠(広河原峠) |
【始めに】 | 水ノ木部落の調査の中に書いてありますが、水ノ木で国有林事業が盛んに行われていた頃、山で生産される材木や炭等を運び出した先は、御殿場線が通る駿河小山でした。それは、世附山に森林軌道が出来る前まで行われていたようです。 その運び出しは、主に山中湖村平野部落の人々が農閑期を利用して、また、農業は家の者に任せて専業で山に小屋を掛けて 行っておりました。この馬の背に荷物を積んで運ぶことを、「駄賃付け」と云い、火山灰で土地がやせている平野部落の人々にとっては、重要な現金収入になっておりました。 その運搬ルートは、水ノ木から相・駿河の国境尾根を越えて、柳島から藤曲(小山)に下っておりました。 下記の昭和31年発行の地形図には、 ●土沢〜峰坂峠 ●山百合橋〜峰坂峠 ●悪沢〜悪沢峠(山神峠・柳島峠) ●世附〜世附峠 4本のルートが書かれています。 水ノ木からは、土沢〜峰坂峠が多く歩かれたとおもいますが、道の状況により、山百合橋〜峰坂峠も利用されたかもしれません。 今回は、「土沢〜峰坂峠」「山百合橋〜峰坂峠」「悪沢〜悪沢峠(山神峠・柳島峠)」を歩いてみました。 土沢〜峰坂峠の間は、前回土沢からの登り崩壊地で引き返しましたが、今回は下ってみました。 |
旧版地図
上記4本のルートがすべて、書かれています。
昭和31年発行 25000分の1地形図 「駿河小山」 少し拡大
(明治24年出版 20000分の1地形図 「山伏峠」にも、同じ4本のルートが書かれています)
現在の地形図 には、悪沢〜悪沢峠(山神峠・柳島峠)・世附〜世附峠の道が書かれています。
GPS軌道
カシミール3DとハンディGPSを使用して作成した「GPS軌跡」のページです。軌道が切れたり飛んだりしていますが、
修正してありません。そのような場所は、衛星の電波を受信できない杉林のような場所です。
また、軌道は、1分隔で記録しております。また、画面の大きさに合わせて縮小していますので、
正確な縮尺はわかりませんがおおよそ25000分の1程度です。
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第87号)
家を5時に出た。
丹沢湖手前のトンネルを抜けると、車が渋滞している。
「何んだー」と思って止まると、ダム駐車場に入るために朝早くから車が並んでいることがわかった。
欄干には、高校陸上部の旗が綺麗にに並んでおり、12月に京都で行われる全国高校駅伝への出場を決める県予選が開催されるらしい。帰りの時刻には終了しているだろうか?
世附ゲートに着くと、渓流釣りが10月15日から禁猟期間に入ったため、車は4〜5台しか駐車しておらず、今までいかに釣人の数が多かったかわかる。
車を止めている人は、不老山か世附山に入る登山者だけで、いずれにしても今日の世附山は静かだ。
浅瀬駐車場
湯山商店の定位置に主はいなかった。
ゲートの先には管理釣場の監視小屋があり、掲示板に釣人が目撃した熊情報が書いてあったので見ていると、小屋から人が出てきて不老山に行くのかと聞かれた。
「峰坂峠」と答えると関心の無い反応で、「釣はまだできるのですか」と聞くと、管理釣場の範囲のみ、狩猟が解禁となる11月14日まではやっているとのことであった。
林道を水ノ木に方面に歩いて行くがやはり人が少なく静かだ。
狩猟が始まれば、金を支払い権利を取得したハンターが、それを「天下の宝刀」のごとく振り翳し、登山者が山に入る権利を否定し追い返す横暴が始まる。
そんな狩猟が許されている世附山では、当分、一般の市民が自然を楽しむような施設が作られることはないだろう。
確かに世附山は、国境稜線を除けば大きなピークは無く、また、滝の多い楽しい沢も無いので、魅力は乏しいかもしれない。
しかし、広い山域と大半が国有地であることは、将来に大きな楽しみを残している山域であるかもしれない。
山百合橋を渡る手前で、左側尾根に取り付いて道を探してみたが、
踏み跡は無く林道に戻った。
山百合橋
橋を渡って河原に下り、対岸に渡り旧版地図に書かれている道を探すが、見つからないので仕方なく急斜面を木つかまりながら尾根上を目指した。
こんな急斜面に、馬が歩けるような道が付けられていたのだろうか、疑問が残った。
植林地内の尾根上に出ると、道跡らしきものが残っていて、登って行くと横から道が合流する。この道が安全に林道に下りることが出来る道であろうか?
広い尾根上をさらに登って行くが、微かに残る踏み跡は、この道が昔から頻繁に利用されていたことを、話しかけてはくれない。
しかし、広い尾根道に急傾斜はなく、馬を引いて歩いても問題になることはないようだ。
同じような雰囲気の植林地を登って行くと、しっかりした峰坂峠への道に合流した。
このまま尾根を、国境稜線までつめてしまいたいような気落ちにさせる、広い尾根であった。
さて、これから土沢に向けて下り、先日引き返した場所を確認したら、峰坂峠に登るのだ。
下り初めてすぐ道が悪くなった。
この道は、土沢出合から峰坂峠までの標高差300mを、山腹を巻いて進む道で幾つもの沢や尾根を横断している。
特に沢を渡る部分は、大半が崩落しており、はっきりとした道跡が残っているのは尾根を越える場所のみでした。
「峠のむこうへ」さんは、「崩れゆく峠みち」表現しておりますが、そんな言葉がぴったりくる道です。
沢の部分に出会うたびに、下りて登り返し、また、上部を巻いて進んで行きましたが、とうとう急斜面が広い範囲に崩壊した場所にぶつかり進むことができません。
先日引き返した場所はまだ尾根を越えた先のようです。
尾根を上まで登れば、クリアすることができそうですが、ここまで十分に道の状況がわかりましたので、無理せず引き返すことにしました。
先程合流した地点まで戻り、ここからは峰坂峠までは国境稜線も近く、問題ないと思っていましたが、道の状況はまったく同じで、沢の部分を越えるには時間がかかりました。
旧道の面影が残っているのは、峰坂峠に近い場所だけでした。
コンクリート製のベンチに腰掛小休止しました。
当時、馬を引いて登って来た人たちも、危険な道が終わって、やれやれと思って休んだことでしょう。
さて、これからは悪沢峠に向かいます、
少し登り、なだらかな稜線から下ると鞍部が悪沢峠です。
ここから、サンショウバラの保護地が始まります。
立入禁止のロープが張られた場所の裏側にまわりこむと、道跡が続いています。
この道を辿れば、ログハウスの場所へ下ることが出来ると思われます。
始めは、明確なみちでしたが、だんだんとあやしくなって来ました。
地形図の道は、途中から沢に下っていますが、現地は尾根を辿っているようです。
尾根上を進むとよく歩かれた深くえぐられた道になっています。
下に近づくと道は尾根を外れて、沢に下って行きます(そこの部分が少しわかりずらい)
林道に出て下るとログハウスの正面にい出ました。
この道は、水ノ木と駿河小山を古くから結んでいた道であったため、一部にわかりにくい部分もありますが、道型がはっきりした道でした。