鍋割山

(ユーシンと峠経・・・西丹沢拾い話しを読んで)



茅ノ木沢の頭

【日 時】 2008年10月13日(日) 単独 晴れ・曇り
【コース】

寄橋6:40〜鍋割峠分岐8:30〜雨山峠9:40〜茅ノ木沢の頭〜鍋割峠10:50〜鍋割山11:25 12:20〜鍋割峠分岐13:35〜寄橋15:50  

【資 料】

25000分の1 「大山」

【始めに】 山を歩くにはちょうどよい気候になり、そして今年もあと2ヶ月で終ってしまう。
これからが木々も葉を落し見通しよく、ダニの活動が鈍る世附の藪山を歩くベストシーズンとなる。雪が降る前に入って見たい場所がある。

年初から本格的に始まったプロジェクトも終息点が見え、少し心に余裕が見えはじめ、気持ちが山に向くようになった。
しかし、だらだらと増えてしまった体重は、来春の成人病検診で「メタボ」と診断されそうだ。腹回りの肉ベルトを外さなと山は苦しい。

先日、山の神に付き合い図書館に行ったおりに、郷土史コーナーの山北町の棚から「足柄ノ文化」をすべて引き出し見ていると、「西丹沢拾い話」という題のページを見つけた。

著者は、西丹沢愛好者の小木満さんで、以前丹沢自然保護協会の会報「丹沢だより」に「ユウシン地名考あれこれ」という題で連載したものを、まとめ直し改題したものであるという、「玄倉川上流域」の歴史と民族ともいえるとても面白い内容でした。

かって丹沢山・蛭ヶ岳・塔ヶ岳・檜洞丸周辺が帝室御料林であった時代には、諸士平に帝室林野庁の役人や作業員の宿舎(ユーシン休泊所)や事務所があったこと。

また、世附山同様に御料林の払下げを受けた業者の製材所があったこと。(熊木沢と箒杉沢の合流点には、寄の丸共製炭商会が経営する丸共製板所、諸士平には安藤製板所) また、製板所で商品化された材木や山で焼かれた炭は、最寄である「寄部落」へ馬の背により運び出させていたことが書かれております。(当時は玄倉部落からの林道はなく、山神峠を越えて諸士平へ下る山道であったのみ)

ユーシンでも世附川流域同様に、御料林事業が行われていたことは、私の触手をくすぐりました。

駄馬が荷物を付けて越えた峠は、鍋割峠・鉄砲沢乗越・オガラ沢乗越・雨山峠で、それぞれの入口には製板所や休泊所があったと書かれております。

この峠については、峠専門のHP「峠のむこうへ」に詳しく書かれており、また、イガイガさんのブログ「イガイガ丹沢放浪記」には、実際に旧道を探した記録が書かれています。

いまさら私が本からの受売りの内容を書く必要もありませんが、「峠のむこうへ」さんのコピーを持って4つの峠を回った感想や世附山の事例を参考に推察したことを書いてみたいと思います。



GPS軌道

GPSで記録した軌道をカシミール3Dソフトを使用し作成した「GPS軌跡」のページです。
軌道が切れたり飛んだりしていますが、あえて修正してありません。
そのような場所は、衛星の電波を受信できない杉林のような場所です。
また、軌道は、1分隔で記録しております。
また、画面の大きさに合わせて縮小していますので、縮尺は正確ではありません。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第87号)


まだ暗い時間に家を出るのは久しぶりで、起床はつらいが家を出れば楽しみな時間が始まります。
寄橋の対岸にある駐車スペースに、車を入れて出発したのは6時40分です。
老齢の両親と同居する我が家は、最近夫婦で長時間の外出はできず、今日は私が遊ぶ時間で、明日は山の神が外出することとなっております。

県内に活動拠点を持つ企業が協賛する「寄水源林」の中を寄沢に沿って上流に向かうと、道は左岸から右岸へ渡り、そして河原を歩いたあと沢から離れ左岸の高い山道となります。 
 寄橋 
 支沢を数本横切ると鍋割峠への分岐に着き、手前の尾根には深く刻まれた経路が残されておりました。
その先で、カヤノキ山稜P1108から下っている尾根入口には「ツルハシ」が立て掛けてあり、尾根を回り込み、そこを過ぎると寄沢も詰めとなり雨どいの底のように深く削られた沢床を歩くようになります。

沢沿いの道は増水により変わりやすく、途中にも数ヶ所地形図と相違した場所がありました。沢床で現在地を確認していると、追いついたこられた3名の方々は、測量用のピンクリボンにつられて、雨山の方向に登っていきました。(派手なピンクリボンは注意が必要です)
パイプ階段がある二又で、右の沢を詰めるとカヤノキ山稜の乗越に出られそうですが、とても駄馬が歩ける道には見えませんでした。
   井戸の底のそうな沢から這い出すと雨山峠に着き、そこはとても峠らしい場所でした。 
   峠から急斜面を登りきると、緩やかな尾根道となり下って鞍部を過ぎると、緩やかに沢が入り込む乗越ではないかと思われ場所があります。古道の面影を残しており、炭俵を付けた駄馬が歩いても不思議ではありません。(左の写真) 
  左側にゆるやかに沢が入り込む(右側は登山道)  
 「西丹沢拾い話」の記載では、『雨山峠と鍋割峠その間に、オガラ沢乗越・鉄砲沢乗越があって計4つ、それぞれ峠経の先に製板所や休泊所があって、それぞれの峠経が拓れた所以を物語っている。この峠経は生産点と生活点を結ぶ経路であった』と説明しております。
地形図を見ると、雨山峠と鍋割峠の間には2つのコル(鞍部)があります。

@「1108ピーク」と「茅ノ木沢の頭」(道標があるピーク)間

A「雨山峠北側の1030ピーク」と「茅ノ木沢の頭」(道標があるピーク)の間
 どちらかがオガラ沢乗越か鉄砲沢乗越となります。



推察その1 (現場を歩いた感想)

 

馬の負担や転落の危険性を考慮し、道はできるだけ緩やかに造られているように感じます。

@の1108ピーク」と「茅ノ木沢の頭」の鞍部は、斜面が急で駄馬が越えた場所には見えない。

Aの「雨山峠北側の1030ピーク」と「茅ノ木沢の頭」の間は、十分峠であったあった可能性が高い。

世附川上流域の水ノ木からの峰坂峠越えは、収入面で1人で馬3〜4頭を引き、一頭には炭俵なら6俵・材木なら35貫(140k)を載せます。


 
   炭俵を馬につけて道志から谷村へ運ぶ(昭和8年頃 道志八里から引用) 
 駄馬に荷を付けた写真  



推察その2 (関東大震災と丹沢)

「西丹沢拾い話」に、関東大震災の被害の大きさについて書かれており、震災により丹沢は大きく変貌したようです。

以下はその内容です。

『大正12年9月1日正午ちかく、相模湾を震源とする巨大地震は南関東を襲って、丹沢全山を丸裸にした。
あらゆる山肌がすべて落ち、崩れ落ちた岩石は深い谷をつぎつぎに埋めていった。
「富士山の右側に見えるあの山は、あんなに低いのにいつも雪をかぶって真白だと子供の頃に話し合っていたよ」と千葉の老人は昔の思い出を語っていたが、露出した岩が雪のように輝き、狭い山頂や稜線部分だけがわずかに樹木を残していた。
関東大震災の被害はそれ程にすざましいものだった。

翌13年1月15日、丹沢を震源とする余震ー相模湾大地震が再び全山を揺るがした。ひび割れの入っていた岩は忽ち崩れ落ちて、全山の沢筋に無数の滝が出現した。

後年丹沢が沢歩きのメッカとなる基礎がここに出来上がったわけである。

2回の大地震は、諸士平に壊滅的な被害を与えた。すべての建物は倒壊してしまい、製板所は再び立ち直ることは出来なかったが、帝室御料林を管理する休泊所がその任務を中断することはなかった。』  以上

震災の後、製板所は再開することが出来ず、駄馬が歩いた道は荒れ果ててしまった。「現状から当時の道を推察するのは困難か?」


推察その3(オガラ沢乗越の場所)

「西丹沢拾い話」にある『雨山峠と鍋割峠その間に、オガラ沢乗越・鉄砲沢乗越があって計4つ、それぞれ峠経の先に製板所や休泊所があって、それぞれの峠経が拓れた所以を物語っている。』とあります。

上記を読むと、雨山峠と鍋割峠を結ぶ稜線上に、オガラ沢乗越と鉄砲沢乗越があるように読めますが、同一稜線上ではなくこの山域に4つの峠があったとも読めます。
著者が説明したかったことは、4本の峠経の入口にそれぞれ製板所や休泊所があって、それぞれ都合のよい峠経を拓いたことではないかと思います。
また、入口は違っても、途中からは同じ道を利用していた可能性もある。


仮の設定

私は「峠の向こうへ」さんと同じく、雨山峠と鍋割峠の間には「雨山峠北側の1030ピーク」と「茅ノ木沢の頭」の間に鉄砲沢乗越があり、オガラ沢乗越は、オガラ沢の頭付近にオガラ沢乗越があったです。
今後はユーシン側からも上って、見たいと思います。
合わせて製板所の位置も調べて見たいと思います。



   

険しい峠越えで、転落した馬の供養でしょか?

鍋割峠から山頂まで気持ちのよいブナ林が続きます。今日の天気予報は行楽日和で、山頂は多くの人で賑わっておりました。

鍋割山荘の草野さんは、鍋焼きうどん作りに大忙しそうです。私も味噌汁を注文しおにぎりを食べました。

下りは、鍋割峠から寄に下りましたが、かなりの急斜面で駄馬が使用した道とは考えられず、古地形図にある鍋割山の北側側面をトラバースする道を通行したかもしれません。

 鍋割峠では馬頭観音が向かえてくれました。
 

雨山峠からの道に合流し、寄水源林上部にある作業経路から後沢乗越のある尾根に出られることを確認するため、周遊コースの上部まで登って見ました。
次回はこの道から鍋割山に登って見たいと思っております。

 
  鍋割峠を越える峠道(オガラ沢に進むと崩壊地)  


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