西丹沢  二本杉峠〜地蔵平 
  

日   時   2005年11月3日(木) 単独  曇り時々晴れ      GPS軌道
コ ー ス 自宅〜中川温泉上の原7:25〜尾根上8:00〜二本杉峠8:40 8:45〜分岐8:50〜
地蔵平10:25 12:20〜千鳥橋12:45〜浅瀬ゲート14:10 14:25〜上ノ原15:20 
参考図書 *2万5千分の1地形図 「中川」
*HPようこそ山へ   「P755−世附権現山ー二本杉峠ー地蔵平ー屏風岩山」
*HP俺の山紀行   「二本杉峠〜屏風岩山   
s-ok さんM−Kさんどうもありがとうございました。 
*アルパインガイド「丹沢・道志山塊三つ峠」46年発行   
概   要 「山梨県道志村の三ヶ瀬川沿いに城ヶ尾峠を越え、地蔵平から二本杉峠と経て中川川の上ノ原に出る道を「さかせ古道」という。
途中の地蔵平の近くには、武田信玄が宿陣した信玄平や将兵が米をといだ水を流したという白水沢などの地名が残っています。」
 奥野幸道著 「丹沢今昔」より

「さかせ古道」は、明治25年の国土地理院旧版地図( 2万分の1 中川村)にも記載されており、犬越路より「さかせ古道」の方が
甲州に通ずる主要な交通路で、道志村と中川村をつなぐ生活道としても利用頻度が多かったものと思われます。
(旧版地図には犬越路の記載が無い)

「さかせ古道」の途中の地蔵平には、分校もあった大又部落がありました。
今は荒れた場所で地名の由来である地蔵尊や山の神があるのみです。

大又部落に暮らす人たちも歩いたであろう「二本杉峠越え」を、s-okさんのルポを参考に歩いてみました。
(上ノ原〜二本杉峠〜地蔵平)
上ノ原〜二本杉峠の間は、世附権現山への登山ルートになっており、道標や道はしっかり整備されています。
二本杉峠〜地蔵平の間は、エアリアマップでは、
荒廃通行不能と記載されています。
屏風岩山の山腹をほぼ水平に進む道は、全体的に荒れていますが、道跡ははっきりしています。沢を横断する部分で道が崩壊し、
一ヶ所対岸の道に上がるため1.5〜2m位の岩場を登りましたが、他の3〜4ヶ所は、そのまま沢を横断できました。
道を見失った場合は、延長線上を探せば見つかります。

二本杉峠〜地蔵平の間は、一切道標はありません。読図により現在位置を想定し、適切なルート選択が必要です。



中川温泉手前の細川橋を渡りすぐ左折し、民家の庭に飛び込むような道を登っていくと神社があります。
神社前の駐車場に車置かせていただきました。
10月はじめに腰痛が出て、しばらく山はお休みしました。10月23日に様子を見るために3時間ほど辺室山を
歩き痛みが出なかったため、今回地蔵平に行くこととしました。
しかし、長時間の歩きには不安があり腰にはコルセットを付けて、歩く前には十分ストレッチをして、歩きはじめました。



神社の鳥居左にある道標に従い、車道を進み途中から山道に入ります。
沢を左下に見ながら植林地内を入り、沢が段々と遠くなり,尾根に上がる急な登りとなり尾根上に出ます。

しばらく尾根の上を歩くと道は、尾根の右側を巻く道となり、何本か尾根を回り込みます。
途中に崩壊地がありますが安全に補修されていて危険はありません。

前方に屏風岩山と権現山をつなぐ稜線が見えてくると、山腹を巻きながら二本杉峠にでます。

二本杉峠は十字路で、左は屏風岩山、右は世附権現山、峠越えは千鳥橋です。


 
 写真1 二本杉峠にある「小御嶽山大権現」

同じ日に、大又沢林道で、お会いした方は,二本杉峠から千鳥橋への道を見つけることが出来ず、
そのまま沢を下ったようです。途中に道標が無く初心者通行注意の道です。

峠から屏風岩山方向に向かい、尾根の左側を巻く道をしばらく歩き、峠のような鞍部に出て、

入口が木で塞がれたところが、地蔵平への入り口です。

屏風岩山はまっすぐに急登です。



       写真2地蔵平分岐


入ってすぐは、バサバサした笹がありますが、道ははっきりしています。

しばらく歩き尾根を回り込むと、道が崩落した沢に出ます。


対岸にわたる丸太道があったようですが、今は一本だけ残っています。(s-okさんが歩かれた時は3本)

1本でも3本でも歩けるようなものではありません。 対岸に道に上がる岩場はいやらしい感じです。

 対岸から観察し、「沢を登り道に下る」「沢を降りて道に上がる」どちらも大変そうです。

岩場のそばまで行って見たら、スタンスホールドがあり登れそうです。(拡大写真

慎重にスタンスホールドを確認して対岸の道に上がりました



           写真3

その後も同じように尾根を回り込むと「沢」があり、その沢で道が崩落しています。

そうした場所が3〜4個所がありましたが、

そのまま沢の中を歩き対岸の道に乗れます。

荒れた道が続きました。





           写真4

大又沢分教場の生徒は、運動会や健康診断のために、三保の本校までこの道を、隊列を組んで歩いたそうです。

生活道を守る石積の跡が、ところどころに残っており、以前は立派な道であったことが想像できます。





           写真5


    たまには、極上の道もありました。









            写真6

      

   ヤマメ沢








           写真7 

M−Kさんが地蔵平への途中から屏風岩山の稜線上のP951m地点に上られた、

尾根の取りつき点にある、「NO24石杭」を発見。

先日、M−Kさんもここに居られたと思うと、安心した気分になるのは何故でしょうか。
             写真8


 

ヤマメ沢の大きく崩落した2段の石積を越えと、s-okさんが毛出汁峠に上がられた尾根に出ます。

ここからは、尾根上をしばらく下り大又沢林道が見えるようになると、途中から右の鹿柵に沿って歩き林道に出まし


写真9 ヤマメ沢

西側斜面にあるこの道は、午前中は日がささず、暗い中を歩きます。

やっと明るい場所に出ました。

お地蔵さんに手を合わせて、広場で小休止です。

二本杉峠〜地蔵平間は、1時間と見ていましたが、1時間40分かかりました。

s-ok さんは、1時間です。「韋駄天のs-ok さん」です。

昔地蔵平に住んでいた方は、地蔵平から三保の本校まで1時間30分で歩いたそうです。
 
   写真10 林道出口 地蔵尊から浅瀬より



まとめ



地蔵平へは、

上ノ原から千鳥橋経由で2時間30分。

浅瀬から大又林道を歩くと2時間10分。

どちらも時間はあまりかわりません。

登りのないぶん、林道の方が楽かも知れません。もし、ガソリン軌道があれば、トロッコで30分位でしょうか?

でも、遠い場所です。

これからは、「大又沢分教場跡・民家跡探し」と「2本ある富士見峠への旧道探し」をする予定ですが、うまくいくでしょうか?

(大又沢分教場跡・民家跡)
 結果については、地蔵平(大又沢部落の旧跡)その3に書きました。

(2本ある富士見峠への旧道探し)
御料林(帝室林野局による御料林)(後には恩賜県有林)事業の拠点は、時代(伐採や製炭地の場所)により、地蔵平であったり水ノ木であったりしたようです。
その2つの拠点を結んだ道が、富士見峠から織戸峠を越えた水ノ木への道です。
この道は、旧東海自然歩道でもあったようです。
 「丹沢・道志山塊三つ峠」46年発行アルパインガイドには、歩く人は少ないが、よく踏まれた道として紹介されております。
このガイドにある地蔵平の略図の車道を探し、富士見峠への2本のルートの入口を探す予定でしたが、車道跡はありませんでした。

略図の車道は、大震災慰霊碑の近くから、沢を渡っています。現在の林道は、地蔵尊の先で沢を渡っています。
現在の地形では、車で沢を渡れるような場所はありません。

丹沢自然保護協会「丹沢を歩く」2005年5月結果報告(富士見峠〜切通峠、三国山稜)で紹介されているとおりに、現在の林道を富士見峠に向かいしばらく歩き、
林道が右に大きくカーブするところの、小岩峰の右側を回りこんで、ニボシ沢に下りました。(堰堤の上)
入口までは、探せませんでしたが、その方が早いようです。


(旧大滝峠の道)
大滝沢周辺に御料林事業が展開された時代は、大滝沢にも集落があり、分教場に7〜8人の生徒が大滝峠越え通学しました、その道は、バケモノ沢と別れ、
セギノ沢沿いに大滝峠に詰めています。
セギノ沢が分岐する場所まで行きました。
地図ではセギノ沢沿いに林道が延びていますが、今は非常に荒れ車が通行できない林道です。
沢沿いの道なので、今でも旧道が残っているのでしょうか、再度挑戦したいです。

(城ヶ尾峠への道)
甲州に通ずる主要な交通路である、城ヶ尾峠への道は、広場中ほどに案内版があります、ここもいつか越えてみたいです。


あとがき


二本杉峠から地蔵平を歩き感じたことは、昔は、整備はされていても、けして安全な道をではなかったということです。

予定では、大滝峠と越えて、大滝橋に降りる予定でしたが、昼食もそこそこに地蔵平の散策に2時間を要し、軟弱にも大又林道をのんびりと歩き、浅瀬から丹沢湖畔を上ノ原に戻りました。
(途中ご親切な方に車に乗せて頂きました)

結果、浅瀬ゲートの管理をしておられた、世附の主である湯山さん(後日春さんに湯山さんのことをお知らせいただきありがとうございました)に大又のことも聞け結果は良かったです。

地蔵平広場で昼を食べていると小鹿が、草むらからじっと私を見ていました、こんなに自然が残る静かな地蔵平です?

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