丹沢表尾根・ヤビツ峠〜塔ヶ岳〜大倉
<定年退職を迎えるTさんへ>
久しぶりの表尾根・やはり静かな山が好き

塔ヶ岳にあった黒尊仏岩に由来する
狗留尊仏如来(くるそんぶつ)

【日 時】 2007年6月02日(土)  8人(山岳部) ・   曇り      
【コース】 自宅6:00 〜 秦野7:35 〜 ヤビツ峠 8:30 〜 富士見山荘 9:00 〜 二ノ塔 10:00 〜 三ノ塔 10:30  〜 烏尾山 11:00 〜 行者ヶ岳 11:40  〜  新大日 12:10 〜 木ノ又小屋 12:20 〜 塔ヶ岳 12:30 13:40 〜 花立小屋 14:15 〜 堀山の家 15:05 〜 駒止茶屋 15:20 〜 大倉 16:45 16:55 〜 渋沢 17:15 〜 自宅 19:00
【資 料】 2万5千分の1地形図 「大山」
【始めに】

山岳部の先輩Tさんは、今年9月に定年を迎えます。

Tさんには、入社当時よく山につれて行ってもらいました。

当時(昭和40年後半)は、まだ山に若者がいた時代で、週末の新宿発夜行アルプス号には乗車待ちの列が出来ていました。

私は、入社してすぐ企業内サークルの山岳部に入りました。

メンバーの大半は20才台で、部会や山行・会報誌発行など組織だった活動が行われていました。

全社員を対象とした「スキーツアー」や「キャンプ」を企画すると、多くの参加者があり、特にスキーは人気がありました。

Tさんは、その時代に運営の中心人物で、ずば抜けた体力と面白いキャラで、みんなを引っ張っていました。

遊びの多様化などで新入部員も減り、クラブは変わりましたが、当時のメンバーがそのまま中高年となりました。そして、定年退職で年々メンバーが減り、現在は10名を切ってしまいました。

しかし、中高年の登山ブームの影響もあり、辛うじて月1回の山行は続いています。

Tさんもその一人で、今回定年を前に最後のリーダーを努め「表尾根」に行くので参加しないわけには行きません。



GPS軌道

カシミール3DとハンディGPSを使用して作成した「GPS軌跡」のページです。軌道が切れたり飛んだりしていますが、
修正してありません。そのような場所は、
衛星の電波を受信できない杉林のような場所です。
また、軌道は、1分隔で記録しております。また、画面の大きさに合わせて縮小していますので、
正確な縮尺はわかりませんがおおよそ50000分の1程度です。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第87号)


指定の集合時間には間に合いませんが、7時35分発のヤビツ峠行きのバスに間に合うように、一番のバスに乗りました。

秦野駅に着くと、すでにバス停は長蛇の列で、7名のメンバーが並ぶ場所に周囲の視線を気にしながら、割込をさせていただきました。

メンバーの中には、集合時間に間に合うように、4時起きして駅まで30分も歩いて来た人もいて、遅れた私は非難の的になってしまいました。
久しぶりのクラブ山行で、冗談のキツイメンバーの雰囲気に溶け込むにまでは少し時間が必要でした。

定時バスには乗り切れず、すぐに来た臨時バスには先頭で乗車でき、座ることが出きました。

ヤビツ峠には、定時バスと変わらない時間に着きました。

休憩所は、バスから吐き出された人で溢れていましたが、段々と目的の山に出発し寂しくなって来ました。

そこへ、今回奥さんが入院し参加できない、Tさんと同じ職場のOさんが、峠まで自転車で登って来ました。

見送りをしてから東海大学前の自宅に戻り、退院する奥さんを迎えに行くそうです。奥さんも昔は山岳部です。


富士見小屋・二ノ塔・三ノ塔と人が多い道を登って行きましたが、人が多すぎて少しいらいらします。

ヤビツ峠バス停 二ノ塔から三ノ塔を見る 三ノ塔



Tさんの回想その1>

Tさんは、比較的年齢が近い先輩であり、よく山に連れていってもらいました。

同じクラブにお兄さんもいて「 T 兄弟」と呼ばれており、クラブ内では苗字ではなく名前で呼ばれていました。

兄さんは、幸ちゃん・弟は洋ちゃんです。お兄さんにもよく山につれて行ってもらいました。

当時のクラブ運営は、若いメンバー5〜6名で構成された幹事会があり、月1回登る山を決めて、そのメンバーがそれぞれリーダーを担当していました。

また、その他にも厚生施設を利用して、月1回の集まりがあり、前月の反省や来月行く山の説明等を行っておりました。

今考えると、反省などおかしいと思いますが、当時は大まじめに意見交換があったようなきがします。

幹事になると大変で、月の行事は、街での幹事会と部会、山行と最低月に3回ありました。当時のTさんは、幹事会の長をしており、重責を背負っていました。

Tさんには、その他に新人部員の教育係の役目もあり、5月の連休には新人を誘い毎年山に行っていました。

最初の年は、「甲武信岳」。次は、「四阿山・根子岳」と「黒姫山」。その次は、「浅間山」と「両神山」。またその次は、「八ヶ岳」と記憶しております。

いつもTさんは、大きなザックでテントを担いでいました。

振り返ると百名山ばかりですが。

苦い思い出もありました。一つの山を登り次の山に移動するため、特急電車に乗りました。

次に停止する駅で下車する時になって、検札が回ってきました。

急ぎ電車に乗ってしまったため、特急券を購入していない我々は、早めにデッキに出て下車する準備をしました。

駅に着くより早く検札が来てしまった場合に備え打合せをしました。

その悪い打合せを、そばにいた明番の鉄道公安官が聞いており、検札に来た車掌に報告しました。

リーダーであったTさんは、下車駅の鉄道公安室につれていかれ散々油を絞られたことがありました。

烏尾山荘 新客ノゾキの岩役行者 順番待ちのクサリ場



行者ヶ岳(新客ノゾキの岩)には、秦野市山岳協会と東光院により、新しい「役行者が刻まれた石碑」がありました。

行者ヶ岳の長い鎖場には、順番待ちの列が出来ていました。

展望のよい新大日は、今日はガスで白い世界が広がっていました。

行者ヶ岳への登り 新大日茶屋 大日如来像があった 木ノ又大日


Tさん回想その2>

やはり、5月の連休にTさんと新人数名で、八ヶ岳に行きました。

当時、Tさん以外は残雪の山は初めてで、アイゼン・ピツケルは借り物でした。

初日は、稲子湯近くにテントを張りました。夜半からテントが飛ばされそうな嵐になり、テントの下には水が流れました。

するとTさんは、ごみを入れる大きな黒いビニール袋を出し、穴をあけて頭から被りシュラフに入りました。その姿がおかしく皆で大笑いしました。

翌日は晴れ、白駒池に向かいましたが、気温が高く雪の表面が溶けて、ずぼずぼもぐるため進めず、北八ヶ岳は中止して電車に乗って茅野から行者小屋に入りましった。

その翌日は、阿弥陀岳に向かいましたが、途中道を間違えたらしく、コルから稜線を登るコースではなく、阿弥陀岳の北側斜面に迷いこんでしまいました。

雪の付いて滑落しそうな急な斜面を、メンバーは細引きで身体を繋ぎ登りました。

今振り返ると、1人落ちると皆落ちる危険な行為でした。

当時Tさんは、新人を引きつれて相当に苦労したと思います。

ツツジ 人が多い 塔ヶ岳山頂 塔ヶ岳山頂


塔ヶ岳から大倉尾根を下りましたが、尾根の途中にある小屋が綺麗になりました。

花立小屋・見晴小屋・今まで営業しているいるのを見たことがなかった「観音茶屋」など、衰退し閉鎖した山小屋も中高年の登山ブームで、復活することはうれしいことです。



Tさん回想その3>

Tさんは、やはり新人を引きつれて連れて、11月上旬の文化の日の連休を利用して、中央の木曾駒ヶ岳から空木岳まで縦走したことがありました。

千畳敷きカールまでロープウェイで上がると、そこは既に雪が積もる冬でした。

今でも思い出しますが、カールから見上げた空は透明な濃い青色でした。

あんなに綺麗な空の色は、初めて見ました。

木曾駒ケ岳に登り、その日は稜線でテントを張りました。

そのテントは、グランドシートと本体が繋がっていない布の夏用で、雪の上でした。

その夜は、相当に冷えこみ夜空は星で埋め尽くされていました。

冬用のシュラフなど持っておらず、グランドシートと本体の隙間から吹き込む風が冷たく寝れません。水筒やカメラまで凍りつき使いものになりません。

次の日は、滑落する人が多い宝剣岳を越えて、木曾殿山荘まで歩きましたが、宝剣の岩場を越えるため時間がかかり、小屋の発電機の音が聞こえた時には、ほっとしました。

花立小屋 駒止茶屋下 見晴茶屋



Tさん回想その4>

以前にも書いたことがありますが、8月のクラブ夏山行が終わった9月に、Tさんと二人で北アルプスの折立から太郎兵平、黒部五郎、三又蓮華、黒岳(水晶岳)・鷲羽、槍ヶ岳に行きました。

富山県から入山するのは初めてで、新幹線で名古屋を経由して富山に入り、折立でバスをおりました。

初日は天気がよく、薬師岳がよく見える太郎兵平にテントを張りました。

しかし、翌日から秋雨の季節に入り、新穂高温泉に下山する日まで雨に降られ続けました。

稜線は、すべてが白い世界で、何処をどのように歩いたのか記憶にありません。

特に、登ったものの鷲羽岳と水晶岳の違いがわかりませんでした。

記憶にあるのは、強い雨で停滞した三俣蓮華のテントの中でのことで、シュラフに入り寝ていると、風で煽られるテントの水しぶきが顔にかかりました。

Tさんは、停滞中にウイスキーを一瓶空けました。

翌日も雨でしたが、双六小屋まで進み、小屋に避難しました。

南アルプスの粗末な山小屋しか知らない私は、乾燥室まである北アルプスの山小屋に感激しました。

また、翌日も雨で槍ヶ岳はあきらめ、双六から新穂高に下りました。

日程が余ったので、帰りは平湯から松本ではなく高山に出て、汚い山の格好で朝市や市内観光をして帰りました。

雑事場 営業中は、初めて見ました 大倉バス停

大倉が近くなると、ランニング姿の人を多く見かけるようになり、見晴らし小屋まで下りてくると、その理由が分かりました。

明日(日曜日)は、ぼっか駅伝が開催されるようで、見晴らし小屋が、第2区の中継点になっていました。

参加する選手が前日から小屋に泊まっているようです。

大倉に着くと、すぐに渋沢駅行きのバスが来ました。


久ぶりに表尾根を全部歩きましたが、やはり人気のある丹沢入門コースであるため、登山者の数が多く、行列には嫌気がさしましたが、天気がよければ景色が良く、楽しいコースであると思います。

しかし、やはり私は静かな山が好きです。

今回は、Tさんが現役最後の山でしたので、Tさんと行った山の思い出を書きました。

これからは、現役より多くなるOB会に入会されますが、私も近い将来し入会しますので、その時はよろしくお願いいたします。


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