ブナの巨木林と甲相国境尾根

久保吊橋〜大群山〜鐘撞山〜神ノ川キャンプ場




ガスの中、幻想的な大群山下の巨木のブナ林

【日 時】 2006年11月4日(土)  2人(Hさん)   晴れ      
【コース】 自宅 4:00 〜 久保吊橋 7:00〜  大渡分岐 8:20  〜  P1131 8:55 〜 ブナ巨木森 10:00  〜 大群山 10:10 11:10  〜 神ノ川分岐 11:40  〜 P934 12:30  〜 鐘撞山 13:00 〜 P669 13:35  〜 神ノ川キャンプ場 14:15   紅椿の湯   自宅 18:00 
【資 料】  2万5千分の1地形図 「大室山」 
【始めに】 甲相国境紛争を読んで、幕府評定所(裁判所)の役人が実地見分したように、実際に現地を自分で見て、双方の主張する内容を確認してみたくなり始まった、国境歩きは今回で終わりました。(実際は歩いたことがない場所なので歩いただけかも)
 駿河・相州境(駿河小山生土〜三国山)、駿河・甲州境(籠坂峠〜三国山)、甲相境(三国山〜菰釣山〜大群山〜神ノ川キャンプ場)までの総距離は約43kmでした。(白石峠〜大群山間は以前に歩いているので省略)
 この全体の感想は、後日「山中湖村史」に書かれている、甲相国境紛争を読んだ感想と合わせて書きます。(まだ出来ていないので)

今回の国境尾根は、道志村、中川村、青根村、青野原が関係する境界です。平野村に同調した道志村は、山神峠・鞍骨峠(二本杉峠?)・箒沢二俣杉(箒杉?)・犬越路を見通し、犬越路から神ノ川に下り、神ノ川沢筋をとおり、道志川との合流点までが境界と主張しています。また、中川村側は、世附村に同調し、菰釣山・大群山、さらに道志川落合(道志川と神ノ川の合流点)まで、峰通りが境と主張しました。

道志村は、この紛争以前に村内組内境界の紛争があり、その時甲州側の谷村代官所、中川村も境界立会いを行っております。ざれ峠から大群山の尾根筋に境界杭を設置した経緯があり、江戸での裁判の中では、そのことを指摘されます。主張した内容と食い違いがあり、平野村に同調したために矛盾が発生してしまいます。

今回大群山から神ノ川キャンプ場間を歩いた感想は、山の中の境界線はわかりにくいことです。
平野村・道志村の主張は、境は「三国峠・山ノ神社・箒沢二俣杉・犬越峠を見通した線」これでは実際山の中で境を探すのは不便です。(送電線でもあれば別だが)
実際に平野村・道志村側の領内であったとしても主張の方法に誤りがあったと思います。
世附村の主張したように「三国山から菰釣山まですべて峰通り」の方が現地で境がわかりやすいし、後日問題の発生がありません。
きっと実地見分をした幕府評定所の役人もきっとそう感じたかもしれません。

大群山には、久保の吊橋から登りましたが、大群山の山頂で手前に、大きなブナの木が沢山ある場所がありました。
ブナの大木はありますが、沢山ある場所は少ないです。
M−Kさんは、「ブナの美林」「ブナの墓場を思わせる」と書いておられますが、世代交替で倒れ苔むしたブナが沢山あります。
yamanokoのテーマ「ブナ林の静かな山歩きが好き」にぴったりの場所でした。


以前S-OKさんから、今回下りに歩いた尾根について下記の書き込みを頂きました。
-----以下 引用-------------------------
 現在では大群山を中心にした尾根筋を境界にして南側は相州(神奈川県)、北側は甲州(山梨県)となっているが、旧幕時代には国境紛争のたえないところだった。そしてとうとう江戸の老中が裁定に乗り出す騒ぎにまで発展し現在のような行政区分に落ちついた。
大群山から北東に落ちている小尾根をカヤノ尾根といい、道も踏まれているが、別名をカゴ尾根という。これは国境裁定の検分のため、老中が駕篭で登降したからだという。
          「丹沢・道志山塊・三ツ峠」(山と渓谷社:昭和50年版)
-----引用 終わり-----------------------

今回下ってみて、大群山山頂下やP934の上は、ひどい急斜面で、当時の人々の苦労を感じながら下りました。
Hさんお世話になりました。

久保吊橋〜大群山〜釣鐘山間は一部に道標がありますが、道が不明確が部分もあります。
釣鐘山〜神ノ川キャンプ場間は、道標はありません。
読図により現在位置を想定し、適切なルート選択が必要です。



GPS軌道

カシミール3DとハンディGPSを使用して作成した「GPS軌跡」のページです。軌道が切れたり飛んだりしていますが、
修正してありません。そのような場所は、
衛星の電波を受信できない杉林のような場所です。
また、軌道は、1分隔で記録しております。また、画面の大きさに合わせて縮小していますので、
正確な縮尺はわかりませんがおおよそ25000分の1程度です。


この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び
数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第87号)



3時半起床し、4時に出発しました。
これからの季節は、寒く早起きがつらくなります。

Hさんとの待ち合せの神ノ川林道入口まで、2時間のドライブです。

厚木から飯山経由で煤ヶ谷、宮が瀬湖、鳥屋部落を抜けて、道志道に入る予定が、道を間違えて七沢温泉に出てしまいました。

待ち合せの場所には、予定より30分早く着いたので、久保の吊橋まで行き駐車できる場所を調べました。

     久保の吊橋手前に駐車

吊橋の手前に駐車できる場所を見つけ、待ち合せの場所に戻ると、Hさんは前日から駐車場に入り、車の中で寝ていたとのことでした。

林道に入り、神ノ川キャンプ場で料金500円を払い車を置かせてもらい、Hさんの車で久保の吊橋に向かいます。

キャンプ場の管理棟で、大群山からの下り口を聞くと、キャンプ場内にある橋のところに出るとのことです。




         久保の吊橋


吊橋の手前に駐車し、吊橋を渡り左折するとすぐに、大群山への入口を示す道志村の道標がありました。

水が無いので、その道に入らず少し先の沢で満タンにしてから戻りました。登山道に入るとすぐに急登です。

吊橋の標高460m、大群山は1596m、標高差は、1140m。300mの標高差を1時間で計算すると約4時間です。
7時に出発したので、山頂には11時の予定です。

        大群山登山口

いきなりの急登は、右から支尾根が合流すると地形図では斜面が緩みますが、現地ではその感じがありません。

次に、支尾根が合流する場所が、大渡への分岐です。

久保・大渡を示す2本の道標があります。

次の目標は、P1131mですが、まだまだ急斜面が続きます。
さすがの標高差1100mです



         大渡分岐

標高1000mをすぎると、暗い植林地から自然林に入りましたが、鮮やかなに紅葉した木がなく暗い感じです。やはり今年は暖い。

P1131mは、はっきりしたピークではありません。しばらく緩斜面になりますが、また、急斜面が始まります。

自然林ですが、ブナの木が小さく、暗い感じのする林を登り続けます。

夏に光岳に行く予定であったことを考えると、この斜面で泣き言は言えない。などと考えながら登っていました。



       大渡分岐の少し上

標高1400mを過ぎると、大きなブナの木が沢山ある場所に入ります。

ここが、M−Kさんが、「ブナの墓場」と呼んでいた場所であることはすぐにわかりました。

苔むしたブナの倒木が沢山あります。







         苔むした倒木が綺麗だ

ガスの先に、ブナの巨木があちこちに霞んで見えます。

あれ大きい、こっちの方がもっと大きい・・・・。 堂平のブナよりさらに大きなブナです。

しかし、樹間が開いており下草が少なく、何故か健全の森に見えません。

M−Kさんの表現した「ブナの墓場」を感じさせる場所です。

世代交代して残ってほしい、ブナの巨木の森です。



          巨木のブナ林
そこからはすぐに山頂です。

山頂には、数組のパーティーが休憩中でした。大群山も地味ですが西丹沢では人気のある山です。

10時10分着。
予定より1時間少ないですが、3時間急斜面が続きました。

Hさん持参のビールで乾杯です。昼食はカレーうどんとコンビニのおにぎりです。寒い時はカレーうどんで身体を温めます。


        久しぶりの大群山山頂

休憩中にも数組が、用木沢方面から着きました。

大群山は、道志村から大きく見え信仰の対象になっていました。
甲相国境紛争の中で、山頂に道志村で奉る「大群権現」「八幡社」があるので、道志村のものだと主張しましたが、結局は裁判で負けて、両社の箱宮は道志村内に引取るように判決が出されました。

山頂には、大室指・久保を示す道標と相模湖ライオンズクラブの日陰新道と書かれた道標があります。

これから、日陰沢新道に入り、県境尾根を下ります。

      急降下を終え平坦となる

始めから標高差100mを急降下します。

途中の右側にガレ場があり、尾根の上に乗ると道がはっきりします。傾斜がゆるくなりますが、それもつかの間、また急降下です。

次の斜面が緩むと、日陰新道の神ノ川ヒュッテへの分岐ですが、そこを直進し、鐘撞山に向かいます。

しばらくはゆるやかですが、右側の急斜面に入ります。



      神ノ川分岐(日陰沢新道)
ここは、植林地を転げ落ちるように標高差200mを下リます。道はあちこちについており、尾根を外さないように沿って下ります。

ここの尾根は「家老尾根」とか「籠尾根」と呼ばれており、国境紛争で幕府評定所の役人が見分のため籠で登った場所ですが、ここは籠では登れないと思いました。

やっと平坦地に入るとP934で、直進せず直角に左折です。





      P934手前の急斜面

少し登り返すと悲しい話がある鐘撞山です。

「鐘撞山奥の院の由来」

鐘撞山の眼下は長者舎といい、武田勝頼の滅亡后、その家臣の小山田信茂の城代であった小山田八左衛門一族は小田原(北条氏)をめざし落ちのびようと神の川流域長者舎まできました。折花姫を守る為に鐘撞山は鐘を置き急をつげるときの場所としました。 この山一帯には金のカメ7個が埋められたという古文書もあります。      (神の川ヒュッテ管理委員会) 

と書かれた案内板が設置されていました。


           鐘撞山
左の杭が神奈川県と山梨県の国境を示す境界石です。国境紛争で決着した境界、水わけ峯の位置を示しています。山頂からは、この杭を追いかけて下って来ました。

杭に書かれた漢字の七十二番号がいいです。

鐘撞山の手前には鐘撞山登山口に下る分岐がありました。さらに進むともう一ヶ所鐘撞山登山口に下る分岐もありました。

尾根筋は真直ぐ進みますが、入口には立入禁止を示すビニールテープがあり、乗越えて進みました。


       県界杭七二番



ここからは踏み跡が薄くなりましたが、P669巻いた先からは、地形図に出ているしっかりした道に合流します。






       長い下りも終盤


川が近づきヤブが出てきましたが、しっかり刈られ歩き易い道です。

尾根から別れ神ノ川に下って行きます。しばらくすると開けた河原にある神ノ川キャンプ場にでました。

キャンプサイトからは、美味しそうな肉の焼けるにおいがして来ます。





       P669は巻き道です
長かった国境歩きは終わり、少しさみしい感じがします。

キャンプ場で車を回収し、久保の吊橋に戻り、橋の袂にある八百屋で大きな酒饅頭と食べました。明日も休みなので、紅椿の湯に入りゆっくりして帰ることとしました。








       神ノ川キャンプ場
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