西丹沢・山の子が通学で越えた大滝峠 |
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二本杉峠〜毛出シ峠〜地蔵平〜大滝峠〜一軒家避難小屋 |
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日時 | 2006年3月25日(土) 晴れ曇り 2名(Hさん) |
コース |
自宅5:30〜中川(上ノ原神社前)7;35発〜二本杉峠8:35 8:45〜毛出シ峠9:50〜尾根出会10:10 10:15〜地蔵平10:55 11:25(軽い昼食)〜セギノ沢(沢のヘアピンカーブの場所)12:25 12:35〜 二俣12:55 13:05〜 大滝峠13:30 13:35〜一軒家避難小屋14:20 15:15〜 車(大滝橋から林道少し入った場所)16:07(山北町営さくら湯によってから)自宅19;35 |
参考資料 | *「誰も知らない丹沢」 *25000分の1 「中川」 |
概要 |
大又沢上流にあった大又部落(地蔵平)には、三保小学校大又澤分教場がありました。分教場には、昭和17年頃大滝沢上流(一軒家避難小屋付近)の「大滝澤部落」から、20人の小学生が通学しており、40人の生徒と2名の教員がいたそうです。その通学路に使われた道を歩いてみました。 地蔵平には、「毛出シ峠」から下りました。毛出シ峠〜地蔵平〜(セギノ沢)〜大滝峠の間は、一切道標はありませんので、読図によるルートファイテングが必要です。 また、地蔵平〜(セギノ沢)〜大滝峠の間は、沢を遡行する技術も必要です。 |
カシミール3Dの軌道
カシミール3DとハンディGPSを使用して作成した「GPS軌跡」のページです。軌道が切れたり飛んだりしていますが、修正してありません。そのような場所は、衛星の電波を受信できない杉林のような場所です、また、軌道は、1分間隔で記録しております。また、正確な縮尺はわかりませんがおおよそ25000分の1程度です |
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第87号)」 |
大滝澤部落については、「大又澤分教場補助教員1名の増員申請」に下記の内容が書かれています。 | |
昭和16年5月6日 三保村長殿 林務課長 印 三保国民学校大又澤分教場補助教員増置ニ関スル件 三保恩賜県有林大滝沢ニ於ケル県行製炭事業ハ昭和14年度ヨリノ継続事業ニ係り、現在製炭関係人夫50名有 (三保支所所蔵・山北町役場所蔵) |
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上ノ原神社前駐車 |
5時起床、5時30分出発、真冬とは違い早く明るくなり、家を出るのが楽になりました。厚木から東名高速に入り、大井松田インターで下り、待ち合わせの丹沢湖入口のコンビニにいそぎました。 すでにHさんは着いており、今回は、Hさんが行ってくれるようになったので、バス利用から車に変更し、1台は上の原、もう1台は大滝橋に駐車しました。 |
峠らしい二本杉峠 権現山方面から |
上ノ原の神社前からの歩き始めは、細川沢を左下にみて植林地を斜めに登って行きます。途中から尾根に出るジグザグの急斜面となり、尾根の上に出ますが、まだ暗い植林地が続きます。2つある炭焼き釜跡から、尾根の右側をトラバースするようになり、ルーズソックスの集団の中をそのまま二本杉峠に着いてしまいます。 二本杉峠はとても峠らしい雰囲気のする場所です。峠から屏風岩山への道に入り、昨年の11月に歩いた、地蔵平へ直接下る道が分岐する場所から急登となります。 |
三椏6分咲き いまいちでした |
急登が終わると今回の楽しみの1つでもある、ミツマタが群集する場所があります、花は6分咲きです。 ミツマタからは道がゆるやかになり、P960m峰(地図読み)から地蔵平へ下る尾根が始まりますが、毛出シ峠に行ってからトラバースして尾根に出ることとしました。 |
毛出シ峠 |
毛出シ峠は、平坦でおおよそ峠と呼べる場所ではありません。昭和46年発行の「アルパインガイド丹沢」には、 「小広くなったところで右に分岐する道があり、これを下れば地蔵平だが、途中で道が少し荒れている。この分岐は、毛出シ峠とも日影峠ともいわれている。」 と書かれています。 |
毛出シ峠のNO70境界石 |
「毛出シ峠」何んという、面白い名前の峠でしょうか、? 25000分の1地形図を見ていて、名前の語源を思いつきました。この付近の標高950mの線は、○チ○コの形をしています。毛出シ峠は、その根元部分にあたるため、「毛出シ峠」というのはどうでしょうか。 地図 しもネタですみません。 |
毛出シ峠からトラバース道に入り振返る |
s−okさんの「誰も知らない丹沢」に書かれている、毛出シ峠「NO70の境界石」と赤テープから、道を捜すとうっすらと踏み後があり、進むとだんだんとはっきりとした道となります。安心しているとガレ場です。 |
ガレ 一歩一歩慎重に |
一ヶ所目は無事通過、二ヶ所目は、見た目は渡れそうにありませんが、近づいて見ると何とか渡れそうです。無理して渡っているとそのうち痛い目に会うので、くれぐれも慎重に、慎重に。 |
尾根と合流する地点 |
トラバースを終了しピークからの尾根に合流、さらに道も明確になりました。 危険なガレを通過するより、ピークから直接尾根を下った方が安全です。 平坦になった尾根をP816m峰へ向かいますが、しっかりした仕事道は、尾根の左側を巻くように下って行きます。 |
仕事道と別れ尾根を進み植林地内を下る |
道と別れ尾根を進みましたが、P816m峰はわからないうちに通過し、途中に見晴らしのいい伐採跡があり、富士見峠や椿丸が見えました。 植林地内で道が無くなり、コンパスで方向を出して進みましたが、尾根が分岐しており、予定の位置に下りることが出来ませんでした。仕事道を下るのが正解でした |
広くて気持ちのよい地蔵平 昔は家があった場所 |
二本杉峠から地蔵平への道に出てからすぐに、大又沢林道に出ました。10時55分。 大又澤分教場は、震災慰霊碑の北側(裏側)です。 今は植林地となっていますが、現地を確認してみると、その平坦地はそれ程広くありません。低学年(1〜4年)と高学年(5〜6年)の2つの教室、教員宿舎の建物、そして狭い運動場くらいは確保出来そうな広さはあります。しかし、40人の生徒では狭そうです。 広場でおにぎりを食べ30分休憩しました。 11:25発 |
壊れた林道、カーブミラーが残っている。 |
お地蔵様が今の位置に移る前は、セギノ沢とオバケ沢が合流する場所のセギノ沢寄りの「マルサン平」といわれている場所にあったそうです。 当時の子供は、お客から地蔵平のいわれであるお地蔵様の案内を頼まれると、泣く泣く遠いマルサン平まで案内したそうです。 そんな訳もあって現在の位置に移しました。 |
前方セギノ沢に架かる橋から沢に下りる |
元の位置は大滝峠への途中なので、探してみましたが、マルサン平は広くて探すのには時間がかかりそうです。 今回はあきらめて大滝峠に向けて、セギノ沢左岸にある崩壊し林道とは呼べない道を歩きます。 |
セギノ沢に下りて大滝峠を目指す |
セギノ沢に架かる立派な橋を渡り、沢に下り古道を探しながら大滝峠へ向かいます。すぐに堰堤があり右岸から越えます。 沢の中をしばらく行くと谷が狭まり5〜6mの2段の滝が現れます。 |
滝 登って下を見たところ 意外と高度感有 |
両岸とも急斜面で巻き道は見つかりませんでした。 滝の左岸側に登れそうな直登ルートがあり、問題は無いように思えましたが、いざ取り付いて見ると、岩がぬれていてすべります。 ぬれた岩場と流れとの中間にある尾根のような部分を登りましたが、高度感がありホールド・スタンスが難しい場所でした。 |
滝の上にはすぐ石積み堰堤があり、右岸の巻き道で越えます。 小学生が通学に使った道なので、しっかりしたまき道があるものと思っていましたが、楽勝ムードから真剣モードにチェンジです。 |
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しかし、堰堤から上は、綺麗で広く明るい沢となります。 左岸から支流が入り、地図と照合し本流を進みます。 ところどころ、旧道の痕跡はありますが、はっきりしたものではありません。 |
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大きな二俣 右の沢に入る |
大滝峠の稜線が近くなり、大きな二俣で右側の沢に入ります。(左の沢が本流です) 流れも無くなり、さらに稜線が近づきました。峠に詰める旧道の位置がわからないため次の分岐で、右側の穏やかなガレ沢を選び登って行きます。 |
最後のガレを登る |
稜線直下まで、ガレを詰めて、最後で左側に逃げて稜線に出ました。 |
稜線に出たが大滝峠ては無い場所 |
稜線からヤブを掻き分けて一般道に出て、しばらく下った場所が大滝峠でした。 峠には、苔むしたベンチと地蔵平に下る道がありました。 今はその役目を終えた東海自然歩道の案内板には、かすれていますが地蔵平の地名と下る道らしいルートが書かれていました。 峠の反対側には、一軒家避難小屋に向かう近道がありました。通学路はこれですが、今日は大滝峠上を経由して下ることとしました。 |
一軒家避難小屋 大滝部落があった位置か |
大滝峠上から避難小屋に下る尾根には、峠から来た近道がやはりありました。 避難小屋14時20分着。 |
避難小屋で、遅い昼食で1時間休みました。 15時15分発。 安全に整備された東海自然歩道を下り、大滝橋から林道を少し入った場所にある、駐車スペースに16時07分着。 |
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セギノ沢は、滝もありましたが、ヤマメの幼魚が泳ぐ明るく綺麗な種沢でした。 実際歩いてみて、低学年の子供が毎日通学するには大変な道です。 大又に住み分教場で勉強した人から当時の話をお聞きしました、大滝沢の生徒は雨や雪が降ると、 学校を休んだようです。 Hさんには同行して頂きありがとうございました。 |
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