「相甲駿国境紛争と公裁」(石田昇著) =遠山の金さんも参加した裁判= 先日、茅ケ崎市立図書館で、「峠のむこうへ」さんからお知らせ頂いた、「吉野と足柄」という本を読みました。文章が難しく私の能力では理解 できないものでした。 内容は、吉野朝廷の高貴な方の埋葬品(黄金千盃、漆千盃、朱千盃)がどこかに眠っているとのことで,その埋葬品を実際に発掘した人が書い た本です。場所はアシ沢周辺?。 内容が難しいため途中で挫折しました。 「足柄の文化」12号(山北町地方史研究会発行)に 「相甲駿国境紛争と公裁」(石田昇著)がありました。 そのような争いの話は聞いたことがありますが、詳しい内容はわからないため、コピーを取って読んでみました。 江戸時代末期(天保12年・1841年)の裁判の方法や費用等、また、知っている西丹沢の峠や地名が沢山登場し、非常に面白かったです。 山神峠の山神様も、論争の1つになっています。 この国境紛争の中心は、甲州側は平野村と道志村、相州側は世附村と中川村ですが、周辺の村々や駿州側の村も争いに引きこまれます。 甲州側は、三国峠〜大棚〜山神峠〜箒沢〜犬越路を見通した線が甲相の国境と主張し、領有権を争った裁判です。 その中で甲州側は、証拠の一つとして山神峠の山神社の存在をあげます。 山神社は、往古より世附村と相談して、持ち合って勧請していると主張します。 相州側は、あの山神の台座には、小田原藩の山奉行4名の名前が彫付けてあり、相州側のものだと反論します。 関係者は江戸に5ヶ月間滞在し、江戸奉行所の白洲(法廷)で、当事者や証人が陳述を行います。 その後江戸から役人が来て、115日間におよぶ各村々の実地検証を行います。各村々はそれに対応するために、村を挙げて道づくりや荷物運びなど、 大騒ぎをしたようです。 7年の歳月と膨大な費用を費やした裁判も判決を迎えます。 判決は、老中・寺社奉行・江戸町奉行・勘定奉行の合議で出せれ、多くの相州側の主張が認められ相州側が勝訴し、現在の県境が確定します。 その合議に参加した江戸町奉行は「遠山左衛門尉景元」で、さくら吹雪の遠山の金さんです。 「相甲駿国境紛争と公裁」には、面白い内容が沢山出ています。 菊の御紋章が付いている古い山の神を見てみたくなり、椿丸から山神峠に下りました。 |
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photo 1世附ゲート |
星が見える暗い5時30分家を出発。渋沢で朝焼けを迎え、Hさんの家に寄ってから浅瀬の駐車場に7時30分に着きました。 駐車は2台目でした。 湯山さんは、今日は店には出ておられず、挨拶は出来ません。 長い林道歩きが始まり、道路の日陰部分は、雪が残り凍っています。 法行橋を過ぎ法行林道にあった森林軌道の跡を探しながら歩きましたが、その跡を見つけることはできません。 |
photo 2 法行林道広場 |
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photo3林道上部 |
南側に、きれいなカヤトの尾根が見える広場で小休止。貯木場のような場所です。 中法行橋を過ぎ、林道は沢と尾根を回り込むように上に延びて行きます。 上部の林道は、平成5年に竣工した新しいもので、日陰部分の雪が深くなり、車がUターンした場所を過ぎると、車に乗っていた人と思われる長靴の足跡がありました。 |
photo 4 尾根取付き |
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photo 5 尾根の途中から椿丸方面 |
浅瀬のゲートから2時間30分の林道歩きも終わり、尾根の取り付きに着きました。photo 4 林道はもう少し先まであります 尾根は左側が伐採跡に苗木を植えたカヤトで、ネットが入口にあります。。 ネットを跨いでも、左から回っても尾根の上に出ます |
photo 6 世附権現山 |
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photo 7 稜線に出て |
カヤトを掻き分けて尾根を登り振り返ると、右から世附権現山、屏風岩山、畦が丸。奥には、丹沢山か塔ヶ岳でしょうか。 伐採跡を過ぎ、植林地をしばらく登るとあっけなく稜線です。途中まで足跡がありましたが、稜線手前で無くなり、稜線上は獣の足跡ばかりです。 稜線を右に折れ、椿丸に向かいます。ひと登りで山頂です。 |
photo 8 椿丸への登り |
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photo 9 椿丸 |
北側が伐採され、大栂とその後に菰釣山がよく見えます。何時かは歩く尾根です。山頂には手書きの山名板があるだけです。織戸峠の分岐からは、富士見峠が見えます。 今日は雲ひとつない天気ですが稜線は風が吹いて寒いです。 |
photo 10 山頂から大栂・菰釣山 |
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photo 11 織戸峠分岐から富士見峠 |
これからは、方向が南に変わり、山神峠の降り口までは、なだらかな稜線歩きです。以外と登り下りがはっきりしており、小さなピークもわかります。 気持ちのよい尾根散歩の場所もあります。 そろそろ、注意の必要な山神峠の下り口です。 正面にヤブが見え白い袋の目印や赤ペンキ等、M−Kさんの整備のおかげで、私は大丈夫でした。 |
photo 12 ゆったりした稜線 |
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photo 13 山神峠への下り口付近 |
稜線は北からの冷たい風が強く吹いていますが、降りる手前の大きなブナの下で、昼食にしました。 ゆっくり1時間休憩し、12時40分発、すぐに急な斜面を下ります。 尾根の形がはっきりし、傾斜が緩むと山神社の屋根が見え、キレットのような山神峠です。 早速米と酒を供えて山神様にお参りしました。 |
photo 14 白い袋の目印 |
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photo 15 山神峠への途中 |
想像以上に大きな山神様で、場所もまさしく峠 山神様は山神沢側(東)を向いています。 山神沢に向かい道もあります。 浅瀬から山神沢をつめて山神峠を越えて、水ノ木へ下る道が、旧版地形図(明治25年)に出ています。 水ノ木へは、世附川に沿って登った方が楽です。 でも、立派な山神を見ていると、多くの人の往来があったような気がします。 |
photo 16 山神様 |
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台座の菊の御紋章 |
s-okさんから山神峠について、お知らせを頂きました。 この社について、丹沢自然ハンドブック「山岳物流と山の神」に次のように書かれていました。 「(戦国時代)秘密の山中に中継点や一時保管の場所として、山神社が利用された。 西丹沢の世附川流域の山神沢の社は、山神沢乗越しの獣道の上に突然現れる。 広さは3帖程であるが、かますであれば20個ぐらいは保管できる」 「柳島-峰坂峠-悪沢出合-山神沢乗越-椿丸-織戸峠-大栂-菰釣-道志村は 高価貴重品を運ぶ戦国時代の闇ルートであった」 |
photo 17 dnさんからお知らせ頂いた 水ノ木雨量観測所への入り口 |
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photo 18 悪沢取水口巡回道 |
山神に関する本を書いていいる、佐藤芝明さんは、 「丹沢・桂秋山山域の山の神々」の中で、長年営林局に勤めた人で、西丹沢の事情に詳しい方から聞いた話として、山神は、山神沢の上流に左岸から流れ込む無名の沢の乗越にあり、その尾根道は、椿丸を経て織戸峠に通じている古道である。 |
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photo 19 |
s-okさん・M−Kさん・dnさんが下った、水ノ木林道への下り口である沢を確認し、ここを下れば短時間で林道に出られる。 今日は時間があるので、尾根道を進みます。 急な登りで標高780、尾根は左にカーブし、急な下りで平坦な鞍部です。 ここから、dnさんからお知らせ頂いた、水ノ木雨量観測所を通り、林道に下ることが出来ます。 入口は、薄いヤブですか、その先に踏み跡が延びています。(photo 17) |
photo 20 |
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友人と相談し今日はP701から三保山荘に下ります。 dnさんすみません。何時か利用します。 ここからP740・P701・P670と地形が平坦です。尾根上をそのまま歩いているとP701の数字の位置に引き込まれました。 コンパスで方向を確認すると90度右です。自分では左にカーブしたつもりはなく、人間の方向感覚は正確ではありません。 尾根も明確になり、最近切られたばかり木が道を塞ぎ、尾根を歩けません。木を避けて斜面とトラバースして歩きます。 悪沢取水口巡回道への道と合流し小休止。山神峠からここまで薄い藪があり、ダニは少し付きました。 三保山荘上の植林地は現在伐採中で邪魔をしないように下りました。 つり橋を渡り林道へ。 世附の湯山さんの顔は、帰りも見ることは出来ませんでした。 |
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あとがき | |||
浅瀬駐車場には、私も含め4台の車がありました。帰りにゲートの方向を見ると林道を歩いている方がおられました。 後日、それがdnさんだったことを知りました。残念ですが、また、どこかでお会い出来ることを楽しみにしております。 また、同じ日に春さんはサニー君と、世附川を挟んで反対の蘇峰台で昼食をとりながら、椿丸や大栂・菰釣山の景色を楽しいでおられ、きれいな椿丸の写真を頂きました。 自分の歩いた尾根が非常に良くわかりました。くびれた山神峠や山神峠への降り口等。ありがとうございました。何時かお会いできることを楽しみにしております。サニー君にも 今年は、一つ一つの山を大切にして歩いて行きたいと思っています。 2006年の初山行は、想像以上に歴史を感ずる山神様に会うことが出来、本当に良かったです。 山神峠も峠のムードが十分でよかったです。Hさんお世話になりました。 |
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